今回の旅は、高野山、熊野三山、そして伊勢神宮をめぐる旅でしたが、そもそもお寺や神社が観光の対象となるのにはどのような魅力があるのでしょうか。私たちの旅の目的が自分自身および自分たちの家族の安寧と平和を祈るというものでしたので、何かを祈るという視点でその魅力を考えてみたいと思います。
その際、魅力というのは、単に瞬間的な流行というのではなく、世代をこえて末永く多くの人から愛されるにはどのような要素が大切となるのだろうかという点を考慮してその考察をしてみたいと思います。その点に関しては、日本中を旅して日本の生活文化のあり方を探究した民俗学者宮本常一さんの、日本人は決して古いものや伝統的なものを、無条件で大事にし、世代をこえて残そうとはしてこなかったという指摘を参考にしようと思います。少々長い引用となるのですが、今後もその指摘を参照しながら旅で出会うさまざまなものの魅力を考えていくのに大いに参考になることから、煩を厭わず引用することにしたいと思います。宮本さんは、論じます、
「いま日本の美術全集をひろげてみると、奈良から鎌倉へかけての絵画、彫刻、建築のほとんどは仏教関係のものである。絵画といえば仏画、彫刻といえば仏像、建築といえば仏寺である。これらのものは過去にあったものではなく、現在残存しているものである。ところで奈良、平安、鎌倉の各時代にあって仏寺だけが栄、仏寺のみが全国にみちみちていたいたわけではない。京には貴族たちの邸宅がたちならび、地方には豪族の家も多かったはずである。それらの邸宅の中に所蔵された絵画、彫刻、調度品なども多かったはずである。多かったはずというようなものではなく、仏寺にくらべれば圧倒的な量にのぼっていたはずであるが、それらのものはほとんど残っていない。せめて当時の住居の一つぐらいは残っていてもよさそうなものであるが、邸址すらあきらかなものはほとんどない。つまり貴族や民衆の有形文化は跡かたもなく地上から消え去ってしまっている。実によく消え去ったものだと私(宮本常一さん)はひそかに驚嘆している。日本人は伝統を尊ぶ民族だといわれているが、実際には自分たちの生活の中できずきあげて来た有形文化をのこそうとはしなかった」〔( )内は引用者によるものです。〕。
「そうした中にあって仏教文化だけは多くのものがのこされた。それは民衆が仏教を支持し、まもっていたからにほかならない。貴族文化は自らが世に誇るものであっても民衆はこれを支持しなかった。民衆の支持のないものは残存のしようがないのである」。
「仏教文化を築きあげたものは偉大であったであろうが、これを保持したものはもっと偉大であった。そして他のすべてのものをほろぼし去ってしまってもなお古い仏寺を守りつづけた民衆の執念に似た情熱こそは、再検討していいのではなかろうか。同時にそこに日本の民衆がほんとうに何をもとめ、何を守って来たかをさぐりあてることができるように思う」とです。
この宮本さんの日本社会における生活文化継承に関する議論を読んでいて、おもわず現在NHKで放映されている大河ドラマ「光る君へ」を思いうかべてしまいました。まさしく、そのドラマは、宮本さんが議論していた時代に関するものです。ときの最高権力者が主役のドラマとも言ってよいのではないかと思います。そのドラマを見ながら、あらためて宮本さんの指摘をかみしめています。確かに、日本社会の何世代にもわたる長い歴史の中では、「民衆の支持のないものは残存のしようがない」のだということがそれです。
一方次のような問いも心の中に浮かんできます。それは、一つは、仏教文化はなぜこれまで長い歴史を通して民衆から支持され、さらに現在なお庶民から支持されているのだろうかという問いです。二つ目は、そうした民衆から支持されつづけている生活文化は、仏教文化以外にはないのだろうかという問いです。日本の民衆は、果たして、宮本さんが言うように、「実際には自分たちの生活の中できずきあげて来た有形文化をのこそうとしなかった」のでしょうか。残してきた有形文化というものも少なからず存在しているのではないか、それはどのようなもので、どのような理由と人々の努力の中で残ってきたのか、また人々は残そうとしてきたのか探究してみたくなりました。
地域文化の旅人(つ・ゆ)